2016.08.31 : Essay

つれづれなるままに

八月の終わり、台風一過。日差しはまだ厳しく、秋はまだ遠くに思えます。
立秋(2016年は8月7日)が過ぎても暑さがきびしい残暑のことを「秋暑」といいます。
「秋暑」は、二十四節気による8月の季語で、8月までしか使えない言葉です。

夏の暑さで思い出されるのが、吉田兼好の「徒然草」です。有名なこの段では、家と庭の造作についての談話が書かれています。

 

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へがたき事なり。深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、遥かにすずし。こまかなる物を見るに、遣戸は蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、灯暗し。造作は、用なき所をつくりたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。」(55段)

 

夏の家は涼を求め、庭の風情や水の流れ含め考えることなど、「夏を旨とすべし」の家作りは内外を含めたものであるべきなのでしょう。高温多湿の夏を凌ぐため、環境問題を含めた「住まいの在り様」を考えている現代と通じています。また、無駄だと思われる造りが、面白さと思わぬ役に立つことがあると、家作りに余裕を持つ事を語っています。鎌倉時代においても「用なき所」が生み出す空間について、住まいの趣やデザインが語り合われていたというのですから、暮らしへの意識は時代が異なってもなんら変わらないのだと思えます。
そして、「徒然草」では、素材や意匠に対する美意識についても述べられ、兼好は暮らし方やインテリアや調度品でその人の品性がわかるともいいます。

 

屏風・障子などの、絵も文字も頑ななる筆様して書きたるが、見にくきよりも、宿の主の拙く覚ゆるなり。 大方、持てる調度にても、心劣りせらるる事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品なく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、煩はしく好み成せるを言ふなり。古めかしき様にて、いたく事々しからず、費えも無くて、物がらの良きが良きなり。」(81段)

 

華美なものではなく、古風で仰々しくなく高価でもなく品質のよい物が本当のよいものだなど、兼好の時代と現代でも美しいと思う感覚に違いがないことがわかります。

 

いやしげなるもの。居るあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書きのせたる。多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。」(72段)

弘融僧都が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。 」(82段)

 

「徒然草」では簡素で簡潔に暮らすことへの美意識が感じられ、煩雑なものに溢れた暮らしを嘆き、シンプルでミニマムな暮らしをすすめています。そして、兼好は「揃いものを必ず同じ様式で整えようとすることは未熟者がすること、かえって不揃いのほうがよい」との言葉にも共感しています。「不揃い」で心地よい空間を作るには意匠の工夫やバランスが大切ですが、風土にあった調和の取れた心地よい住まいを作る事は今も昔も誰もが求めているものだと言うことがわかります。

 

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